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【CHRONOLOGICAL TABLE】
J-WAVE「10年社史」より
| ____________________________________________ PROLOGUE: CONCEPTION AND PREPARATION ・ |
| 「開局理念&開局ドキュメント」 J-WAVE「10年社史」より |
| ____________________________________________ 1988年10月1日午前5時。 J-WAVEは東京の第2FM局として産声をあげた。 斬新な理念と編成方針− それは、FM放送のみならず、放送業界、 そしてアーバンカルチャーにとってひとつのエポックだった。 |
| ___________________________________________ 伝説の始まり--- 何も語らない試験放送はあまりにも鮮烈だった ___________________________________________ |
外では8月の焼けつくような太陽がアスファルトを焦がしている。ふだんは、冷房のきいた室内で静かにデスクワークに取り組むスタッフも、この日からしばらく、受話器を握る手に汗をにじませて、対応に追われることになる。誰も、リスナーからの反応がここまで大きいとは、想像していなかったのだ。 事の起こりは、8月1日にひっそりスタートした試験放送である。正式には試験電波発射と呼ばれるこの放送は、電波の混信などの技術面をチェックするトライアルであり、リスナーにコンテンツのクオリティを問うものではなかった。が、毎日、7時から22時30分まで、わずかなコメントテープを入れる以外は音楽を流し続ける、気分のいいFM局の誕生を、リスナーはいち早く察知したのである。「よし、いける。」「オレたちの考えていたことは間違ってなかった」それぞれに安堵と喜びをかみしめるディレクターたち。 本放送開始が,2ヶ月後に迫っていた。 ・ |
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| ___________________________________________ 1987年12月10日、 株式会社エフエムジャパン発足 ___________________________________________ |
| 株式会社エフエムジャパンが発足したのは、前年の1987年、暮れも押し迫った、12月10日のことである。 それ以前、郵政省の方針変更によって、これまで各都道府県に1局とされてきた民放FM局を開設することが可能になって以来、免許を申請する法人の数は実に495社にも及んだ。これを、当時の経団連会長の調整によって東京の第2FM局として一本化し、設立準備室などを経て生まれたのが、株式会社エフエムジャパンだった。 そうした組織固めの一方で、放送事業の大動脈である編成・営業にも全力が注がれた。 年が明けてすぐの1988年1月、エフエムジャパンは編成方針とステーションネームを決定。4月に発表会を行うことにする。 このような、先発のFM局を含む「FM戦国時代」と呼ばれる動きが加速していく中で、局の個性を最も発揮する編成方針については、さまざまな憶測が交わされていた。いわく、完全な音楽専門局になるらしい。いや、交通情報だけは入るらしい。トークはほとんど入れないらしい。などと、発表もまだたというのに、それらの憶測をもとに番組のプレゼンテーションを行おうとする広告代理店も現れるなど、水面下では新FM局に対するアプローチが激しく渦を巻いていた。 しかし、そんな動きとは対照的に、エフエムジャパンの内部では、綿密なリサーチが深く静かに潜行して続けられていたのである。 |
| ___________________________________________ ターゲットは「UP SCALE GROUP」 それは、時代の牽引者たち ___________________________________________ |
1988年4月14日と18日に、それぞれ東京と大阪で開かれた発表会で、エフエムジャパンは、局の理念をこう高らかに宣言する。語義上は、大方の予想通りだったといえるだろう。が、それは、海外のFM局のような音楽専門局にするという漠然としたものではなく、明確なリスナー像を設定したうえでのミュージックステーションを目指すものだった。 そのリスナー像は、首都圏に住む15歳から49歳までの男女1021人を対象とした調査から浮かび上がってきたもので、「UP SCALE GROUP」と名前を与えられている。 このグループの人々は、たとえば次のような指向とライフスタイルを持っていた。「情報感度に鋭いアンテナを持ち」「音楽が生活環境の一部になっていて」「本物を志向し、クオリティを大切にする」。また、「国際的感覚を持ち」「深夜も起きていて」「休日は街に出かけ」「さまざまな雑誌を読む」などである。彼らは、情報を自由にハンドリングしながら、自分の感性に基づいて積極的な消費活動を行う新しき都市の回遊者であり、しかも年齢層にかかわらず、4人に1人はUP SCALEと呼べるライフスタイルの持ち主だった。 「J-WAVEが狙うリスナー・ターゲットは、TOKIOに暮らし、TOKIOのトレンドを作り出している都市生活者です」 ここまで明快に‘はじめにリスナーありき’の姿勢を打ち出したのは、日本のラジオ史上、初めての出来事だったと言っていい。 この発表会を経て、編成と営業の両面からエフエムジャパンは10月の開局に向けて本格的に走り始める。 |
| ____________________________________________ 斬新な編成方針、「MUSIC AIR CURRENT」と、 「FLOW PROGRAMMING」 ____________________________________________ |
前者は、リスナーの生活環境を、まるで空気のように音楽で包み込もうというものであり、後者は音楽を、番組という時間の‘流れ’や‘うねり’の中で気持ちよく聞いてもらおうとするものだった。数秒単位の時間に束縛されるフォーマット主義を排したこの自由な考え方は、また、従来の番組つくりに飽き足りない思いを抱いていた優秀なディレクターを、多く引きつけることにもなる。 8月1日からの試験放送を担当した5人の外部ディレクターたちは、2大方針に基づいて、以下のようなことを確認しあった。 日本語か英語による試験放送発射中というコメント・テープを流す以外は、一切トークを入れず、音楽だけを流す。流す音楽はノンジャンル、ノンカテゴリー。ただし、歌謡曲はかけない。同じジャンルのものを続けてかけないようにする。 こうして、毎日生で送り出された電波が、耳ざといリスナーによってキャッチされ、「おもしろい放送を始めた放送局がある」という噂が口コミで広がっていったのである。 と同時に、8月8日からスタートした開局プレキャンペーンも、J-WAVE人気に拍車をかけた。デヴィッド・サンボーンやヴァン・ヘイレンのレコード・ジャケットで知られるロサンゼルスのアーティスト、ジェイ・バイゴンによる斬新なビジュアル・ポスターが都内の主要駅に張り出され、盗難騒ぎが起きるほど人気を呼び、さらに、本社近くの地下横断歩道の壁を、J-WAVEをイメージしたポップなグラフィティで埋め尽くしたところ、雑誌がファッション撮影の背景に使うなど‘目’からもJ-WAVEは浸透していく。プレキャンペーン「CATCH ! Your J-WAVE」の応募総数は、最終的には15万通を超える勢いを示した。 J-WAVEは、単なるメディアとしての機能を超え、‘J-WAVE現象’とでも言うべき、TOKIOトレンドの一つになりつつあった。 |
| ____________________________________________ 時代をつかんだコンセプト。 それこそがFM放送新時代の流れをつくっていく ____________________________________________ |
| 試験放送のリスナーからの問い合わせは、日を追うごとに増えていったが、この現象はスタッフを驚かせるとともに、意を新たにさせるものでもあった。驚いたのは、リスナーの生活に侵入しない、気に障らないという環境メディア的な性格を打ち出していたにもかかわらず、リスナーが曲そのものに強い反応を示してきたことである。スタッフは、クオリティの高い音楽を巧みな流れに乗せてオンエアすれば、リスナーはついてくるとの深い確信と自信を得る。 この時点で、本放送のためのパイロット・テープ制作も盛んに行われていたが、目指す方向の変更は全く必要とされなかった。その証拠に、88年初頭の時点で部外秘だったタイムテーブル案と、のちに正式発表された本放送のタイムテーブルは、若干の企画変更や番組の時間帯移動などがあるものの、基本的な編成デザインは同じである。 同じころ、例えば活字メディアが次々と雑誌を創刊させ、すぐに編集方針を変更しなければならないほど嵐にもまれて沈んでいったことを考えれば、その先見性と確固たるポリシーは、日本のメディア史上に残るものと言えるだろう。 |
| ____________________________________________ 鮮烈な出現と快進撃の始まり。 1988年10月1日、本放送開始 ____________________________________________ |
こうして1988年10月1日午前5時、「JOAV-FM JOAV-FM、こちらはFMジャパンです。周波数81.3MHz、出力10kwでお送りいたします」とのコメントとともに、J-WAVEは「24時間純粋音楽局」としての歴史の幕を開ける。最初のオンエア曲は、試験放送期間中、定時の時報の前に必ずオンエアされ、最も問い合わせの多かった曲、リチャード・バーマーの「ACROSS THE VIEW」だった。この曲は、のちにJ-WAVEが送り出す数々のヒット曲の、記念すべき最初のものとなる。 ノンフリル、レストーク、モアミュージック。80%の音楽と10%のトーク、10%のCMで編成されたJ-WAVEは、すぐに圧倒的な支持を受け、眠らない都市の生活者に、ラジオをつけっ放しにするという習慣を植え付けた。 パイを奪い合うのではなく、新しくパイをつくりだす。その後、独自の海外ニュースや情報、J-WAVE専用のCMづくりなど、J-WAVEがラジオ界にもたらした画期的な動きは多々あるが、何よりもJ-WAVEの出現そのものが、ラジオの壁を打ち破る、1980年代終わりの革命的な‘事件’だった。■ |
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